『WEB版リテラシーズ』1

『WEB版リテラシーズ』1(2) [2004年12月刊]

論文

個人から考える「文化」・「社会」――ラング・パロール往還文化論の実践
三代純平(仁川外国語高等学校)
キーワード: ラング・パロール往還文化論,「日本事情」教育,多様性,言語文化,この私
概要: ラング・パロール往還文化論とは,言語とのアナロジーで,個人の思考や表現の総体,個人の有する文化をパロール文化とし,一方で,集団の有する習慣や思考傾向などの文化をラング文化とし,その往還関係から文化を考えようとするものである。この論に基づき,筆者は「日本事情」教育は,個人個人が集団の社会とどのように関わっていくかを考える場であるべきだと主張した(三代,2003c)。本稿は,その実践として,学習者が実際に日本で生活する人に個人的にインタヴューをすることを通じて日本社会の多様性を自覚することを目指した「言語文化」というクラスを検証する。4 人の留学生がこの活動を通じて文化をどのように捉えるようになったかという変遷から,この実践の意義と問題点を明らかにする。
Entry:三代純平(2004).個人から考える「文化」・「社会」―ラング・パロール往還文化論の実践『WEB版リテラシーズ』1(2),1-12. http://literacies.9640.jp/vol01.html#miyo2
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対話教育としての日本語教育についての考察――〈声〉を発し,響き合わせるために
矢部まゆみ(早稲田大学日本語研究教育センター)
キーワード: 対話,声,バフチン,フレイレ,問題発見解決学習
概要: 本稿では,日本語教育において涵養していくべきリテラシーとして,〈対話力〉とは何かを,バフチン,フレイレの対話についての論考を踏まえて検討する。近年,試みられている「問題発見解決学習」(細川,2002;細川,2003a;細川,2003b)の枠組みでの実践を「〈声〉を発する」「他者の〈声〉と向き合う」「新たな意味を編成する」「変容する」といった対話のプロセスと照らし合わせて分析する。
Entry:矢部まゆみ(2004).対話教育としての日本語教育についての考察―〈声〉を発し,響き合わせるために『WEB版リテラシーズ』1(2),13-25. http://literacies.9640.jp/vol01.html#yabe
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教育研究ノート

クリティカルペダゴジーと日本語教育
佐藤慎司(コロンビア大学ティチャーズカレッジ人類学と教育プログラム)
キーワード: クリティカルペダゴジー,学習理論,学校教育,対話,批判的思考
概要: 本稿では現在の学校教育の一環としての日本語教育が抱えているカリキュラム,シラバス,目標の持つ問題を明らかにした後,広い教育学の文脈から日本語教育学の問題点を見直す試みを提案する。教育学のクリティカルペダゴジーというアプローチを簡単に紹介し,その視点から 1. 教育者が学習者と真の対話を試みる,2. 既存の知識の枠組みを超えた批判的思考を意識した日本語教育を提案する。
Entry:佐藤慎司(2004).クリティカルペダゴジーと日本語教育(教育研究ノート)『WEB版リテラシーズ』1(2),1-7. http://literacies.9640.jp/vol01.html#satou
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『WEB版リテラシーズ』1(1) [2003年12月刊]

論文

ラング・パロール往還文化論序説――新しい「日本事情」教育の可能性
三代純平
キーワード: 「日本事情」教育、「個の文化」、「この私」、ラング・パロール往還文化論
概要: 本稿ではまず「日本事情」教育がどのような文化観で何を育成しようとしてきたのかを概観し、その問題点を明らかにする。さらにそれを踏まえ、筆者の文化論であるラング・パロール往還文化論という理論を説明し、新しい「日本事情」教育において、パロール文化からラング文化を考えることが意味を持つことを主張する。そして、ラング・パロール往還文化論を基にした新しい「日本事情」教育で育成される力とは、社会、文化の中で自己のアイデンティフィケーションを行う能力であることを述べる。
Entry:三代純平(2004).ラング・パロール往還文化論序説―新しい「日本事情」教育の可能性『WEB版リテラシーズ』1(1),1-11. http://literacies.9640.jp/vol01.html#miyo
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留学生に対する日本人協力者の個人化した説明が談話の展開に与える影響
鈴木伸子
キーワード: 接触場面,話段,相互テーマ展開構造,「意義」と「意味」
概要: 日本事情を学ぶ留学生と日本人協力者の接触場面では、しばしば日本の文化的な話題が取りあげられて協力者が説明をすることがある。本研究は、その時に現れる社会一般的な観点と個人的な観点の二種類の説明が談話の展開に与える影響を質的に分析した。分析の結果、文化的な話題の場合は、社会一般的な発話に較べて個人的な発話のほうが談話の展開を促す傾向のあることがわかり、日本事情で教授すべき文化について有益な示唆を得た。
Entry:鈴木伸子(2004).留学生に対する日本人協力者の個人化した説明が談話の展開に与える影響『WEB版リテラシーズ』1(1),12-22. http://literacies.9640.jp/vol01.html#suzuki
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日本語教育における学習者主体――日本語話者としての主体性に注目して
牛窪隆太
キーワード: 多様化,学習者の主体性,「学習者中心」,「学習者主体」
概要: 学習者の多様化に伴って、学習者中心、及び学習者主体である授業の必要性がいわれてきた。しかしながら、その前提となる「学習者の主体性」とはなんであろうかと考えたとき、明確な提示がなされているとはいえない。そこで本稿では、オーディオリンガル・メソッドにおいて失われていた「学習者の主体性」の多義性に注目し、日本語教育で従来もてはやされてきた「教室-学習者」間での主体性のみを追及することの限界性を指摘する。その上で、教育学の議論から「日本語-学習者」間での主体性をとらえなおすことを提案し、「学習者主体」を考察する。
Entry:牛窪隆太(2004).日本語教育における学習者主体―日本語話者としての主体性に注目して『WEB版リテラシーズ』1(1),23-28. http://literacies.9640.jp/vol01.html#ushikubo
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関連情報

識字教育と日本語教育を結ぶための文献紹介
田中里奈,牲川波都季
キーワード: 社会教育,識字教育,パウロ・フレイレ,野元弘幸,識字の暴力
概要: 日本語教育は、近年、他分野からイデオロギー上の批判を受けている。その批判に応えるためには、他分野の指摘を理解するととともに、日本語教育が社会に作用するものだということを受けとめ、社会の中でどのように機能していくべきかを模索する必要があるだろう。社会教育で行われてきた識字教育の理念や実践は、その模索に大きなヒントを与えてくれる。本稿では、主に、パウロ・フレイレと野元弘幸の著作を取り上げ、識字教育や識字教育に基づく日本語教育実践を紹介する。
Entry:田中里奈,牲川波都季(2004).識字教育と日本語教育を結ぶための文献紹介(関連情報)『WEB版リテラシーズ』1(1),29-38. http://literacies.9640.jp/vol01.html#tanaka
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