第1回 砂川裕一(群馬大学社会情報学部)

『リテラシーズ』の編集スタッフが交代でコラムのようなコーナーを設けることになった。「リテラシー」をめぐる様々な話題や情報やアイデアなど,先入観や既存の形式にとらわれることなく自由に語る場としたいと思う。具体的な内容や方向は手探り状態だが,まずは,この夏の想い出から・・・。

この夏,ヨーロッパで2つの研究会に参加した。1つは「日本語教育連絡会議」。もう1つは「2004ヨーロッパ日本語教育シンポジウム」である。おそらく,ともに馴染みはあまりないに違いない。

日本語教育連絡会議

「連絡会議」は,旧東欧およびその周辺地域の日本語教師を中心にした情報交換と勉強会とを目的として,1988年に旧ユーゴスラビアのドゥブロブニク(あの旧ユーゴ崩壊の際の戦禍で破壊され,そして蘇った町)で初めて開催され,それ以来毎年1回,たいていの場合旧東欧地域のどこかで開催されている。

今年,第17回を迎えた。組織もなく年会費もない。固定した事務局もない。よく学び・よく語り・よく遊び・よく食べかつよく飲むことを楽しみにして集まりたい人が集まる手作りの研究会である。しかし,情報交換のための報告論文集は毎年必ず刊行している。当初からの事情で運営は比較的クローズドであり,「来年のお知らせ」は原則として今年参加した人にしか届かない。それでもどこかから聞きつけて,毎回久しぶりの顔がヨーロッパのどこかに集う。

今年はトルコのアンカラで,土日基金文化センターのなかなか立派な施設を借りて開催された。世話役の尽力と配慮と現地スタッフの協力で,ちょっとした国際学会のような雰囲気になった。今年の参加者の特徴の1つはトルコ国内からの参加者が多くいたこと,そしてトルコ国内の日本語教育関係者の間での情報交換や相互理解が進んだこと,そして,トルコ国内の実状がトルコ以外の国からの参加者の間でも共有されたこと。つまり,連絡会議の原点の趣旨がよく生かされた会議となった。来年はローマである。

会議の中身は,学会ふうの研究発表と機関報告(それぞれの日本語教育機関の陣容やカリキュラムなどについての実状報告や問題提起)が2本の柱になっている。それらの発表と報告は報告論文集として,年明けごろまでには刊行される予定である(筆者も数日後に締め切りをひかえている・・・)。

カッパドキア・ツアー

会議の中身の一部として,今回はカッパドキア・ツアーが組まれていた。巧みに操られる熱気球から見るカッパドキアのあの大地の歴史と景観や夏の太陽に焼かれながら歩いた土の感触は,今年の連絡会議の感触と溶け合って記憶に残るものとなった。

2004ヨーロッパ日本語教育シンポジウム

もう一つの「シンポジウム」は,「第9回ヨーロッパ日本語教師会シンポ」と「第6回フランス日本語教師会シンポ」の合同シンポとして,フランス・リヨンのジャン・ムラン=リヨン第三大学で開催された。

こちらの方はヨーロッパ全体をカバーする日本語教師会の年次大会である。今年は約170名が参加した。ヨーロッパの日本研究の学会としては,文学や歴史や政治など日本研究の領域全般をカバーするEAJS(European Association for Japanese Studies)が知られているが,ヨーロッパ日本語教師会は「日本語の教師の集まり」である。しかし,パートタイムで教えている人から大学の日本研究セクションに所属している研究者まで,参加者の幅は広い。ヨーロッパの各地で現地の人と結婚して定住している日本人も多く参加している。研究者の学会というよりは教師同士の勉強のための研究会といった趣が強いが,筆者の印象や耳にするところでは,近年学術的な水準も急速に向上してきているように思われる。筆者にとっては多くの勇気と触発を与えてくれる人たちの集団でもある。

こちらは全くオープンな会で,日本在住の者でも会員になれる。来年は,ヨーロッパ教師会はベルギーで,フランス教師会はオルレアンで,それぞれ開催されることになっている。

ヨーロッパ情報はいろいろなメディアとルートで手に入れることができる。しかし実際に現地に行って話をしてみると,彼らにとっての日本語教育は,文字どおり文化や社会や歴史を背負ったものであり,日常生活の中の言葉の教育なのだということが伝わってくる。筆者が「日本事情」や「リテラシー」にこだわりつづけているのも,こんな「夏の想い出」が繰り返し背中を押してくれているからだ,と思う。

(2004年9月30日)

追伸:「連絡会議」は7月末から8月末のどこかに,「ヨーロッパ教師会」はたぶん8月下旬か9月に,「各国の教師会」はヨーロッパ教師会と重ならないように9月や10月に,開催されます。年が明ければ,情報が流れ出すだろうとおもいますので,またこのHP上でお知らせします。

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