話題概要
さらに詳しい内容は,プロシーディングをご覧ください。
パネル・セッション 1:外国語教育・学習者主体の変遷
Intercultural Literacy vs. Communicative Competence — What's the difference?
Claire Kramsch(C. クラムシュ)
Cook-Gumperzの「リテラシー」,Byramほかの「異文化能力」の定義に従えば,「異文化リテラシー」とは,異なるスピーチ・コミュニティーの範疇で,他者のために他言語によってテクストを産出・理解する認知能力となろう。それはかつての「コミュニケーション能力」とどう異なるのか。
本発表では外国語教育におけるリテラシーの多様性を探る。そして,「異文化リテラシー」と「コミュニケーション能力」という両概念を明らかにし,学習者の育成においてそれぞれが果たす役割を考える。
(発表言語は,英語。ただし,発表内容原稿の日本語訳をプロシーディングに掲載。討論時には翻訳者付。)
日本語教育における「学習者主体」の意味 ――「文化リテラシー」との関連から
細川英雄
戦後の日本語教育における教育意識の推移を踏まえた上で,「学習者主体」の意味について,教室活動での「相互」「協働」「合意」という観点から検討を加える。
この「学習者主体」の教室活動およびその目的概念が「文化」および「文化リテラシー」とどのように関わるかを論じる。
パネル・セッション 2:言語教育と多文化社会
「移動する子どもたち」と言語教育 — ことば・文化・社会を視野に
川上郁雄
グローバリゼーションや大量人口移動によるハイブリッドな文化の動態性は,ナショナルなイデオロギー性を持つ同化主義的言語教育のあり方や,母語・母文化尊重教育という固定的な多文化主義教育の欺瞞性を問い返している。
ことばと文化」をめぐる政治性が,今まさに,他者と関わる力をどう育成するのか,他言語話者との関わりを築く言語能力とは何かを問うている。この課題を,日本の「JSL (Japanese as a Second Language)の子どもたち」への言語教育実践を通じて考える。
Some Problematics of Theorising Inter-Culturalism for Practice — Principles of Normative Behaviour in a Pedagogical Context at a Time of Rapid and Deep Globalisation.
Joseph Lo Bianco(J. ロ・ビアンコ)
異文化間教育の実践における文化表象の扱いを巡る諸問題について論じる。
異文化間教育において,学習者は文化についてのさまざまな情報に触れるにつれ何らかの観念を抱く。しかしその際,その文化圏における特定言語のネイティブスピーカーという幻想的理想像が,文化の代表者として立ち現れてしまう。
急速なグローバリゼーションが進む現在,外国語教育において,文化はどう扱われるのか。単に,言語・文化という概念を解体し脱構築するだけでは乗り越えられないこの問題を,オーストラリアにおける具体的施策を通じて考える。
(発表言語は,英語。ただし,発表内容原稿の日本語訳をプロシーディングに掲載。討論時には翻訳者付。)
パネル・セッション 3:言語と社会・文化
「言語の獲得・習得」と「日常的生活世界の獲得・拡充」の一体性について
砂川裕一
「外国語を使えるようになると世界が広がる」・「彼らのことばがわかればもっと気持ちを通じ合えるのに」・「ことばを学ぶことはそのことばの背景にある文化や社会や人々の考え方や価値観などを学ぶことだ」というような日常的な表現の根底を掘り起こして,「言語の習得」と「文化・社会・個人の発生・成立」の根源的な関係を俎上に載せる。
文化的能力の評価をめぐる欧州の議論と「文化リテラシー」の位置づけ
G. ザラト(Genevieve Zarate)
現在,ヨーロッパは,国家を超えた個人の移動を進め,さらなる交流・連帯を強めようとしている。その際,個人の異文化理解能力や多言語使用能力を適切に評価し,さらなる向上を促していくことが重要である。だが一方で,一般化された基準による評価には,個々人の能力や経験の流動性・多様性を固定化するという側面もつきまとう。
欧州評議会による『欧州言語ポートフォリオ』は,評価をめぐるこのジレンマに一定の答えを与えるものである。『欧州言語ポートフォリオ』の実際と可能性を具体的に検討し,なお残されている課題と今後の展望について議論したい。
(発表言語は,フランス語。ただし,発表内容原稿の日本語訳をプロシーディングに掲載。討論時には翻訳者付。)