本発表は,ある実証的研究を通して,「日本語教育におけるリテラシーとは何か」を考えるための1つの視点を提供するものである。まず,Gee(1990)のリテラシーの定義を援用し,日本語学習者の第二言語リテラシーについて考察する。次に,リテラシーの実践を可能にする教室活動としてストーリーテリングを取り上げ,その活動の性質を検討するとともにリテラシーの実践との関連を提示する。そして,実際のストーリーテリング活動の様子を紹介しながら,学習者のリテラシーの実践に関して,分析の過程で明らかになった注目すべき側面や課題を指摘する。
Gee(1990)は,リテラシーを定義するにあたって,まず,私たちが他者との関わりにおいて獲得するディスコースについて説明している。ここでGeeが取り上げているディスコースとは,ある社会で受け入れられている言語やシンボリックな表現や利用可能なアーティファクトの用いられ方に相当するものである。私たちは,ディスコースによって,その社会集団のメンバーとして思考したり行動したりする。こうしたディスコースは,「第一のディスコース」と「第二のディスコース」の二つに大きく分けられる。「第一のディスコース」は,主に家庭に代表される,同じ経験や知識を共有する人たちに制限された共同体とのインターアクションを通じて獲得されるものである。一方,学校や職場,教会など公的な場で獲得されるディスコースは「第二のディスコース」で,社会文化的な場における実践活動を通じて獲得されるものである。
Geeによれば,ディスコースの獲得とリテラシーは密接な関係を持っている。Geeが定義しているリテラシーは,個人に属する読み書き能力という一般的なリテラシーの定義とは異なり,特に,社会文化的な実践活動において,第二のディスコースを獲得し,その使用をコントロールできることを指している。ここで言うコントロールとは,第二のディスコースを用いる際,そのディスコースにおいて,話者として機能的に振舞えることを意味している。つまり,リテラシーとは,実践をともなった活動におけるディスコースの獲得を通して,そこで使用されている言語の話者として自律できることと捉えることができる。
このGeeのディスコースの定義を,学習者のディスコースの獲得に当てはめて考えると,学習者の第一言語における第一と第二のディスコース,また,第二言語における第一のディスコースと第二のディスコースの獲得といった可能性が考えられる。このうち,日本語教育の場に関連しているのは,学習者の「第二言語」による第二のディスコースの獲得である。したがって,先に述べたリテラシーの定義に照らし合わせると,「第二言語リテラシー」とは,実践的な活動において第二言語のディスコースを獲得することであり,学習者が「第二言語話者(2)」として自律できることであると捉えられる。
しかし,レベル分けされた日本語の授業に参加している学習者の現状を考えると,実際には,言語能力的に同レベルと判断された学習者間にも,例えば,教室外の環境における経験やすでに獲得した第二言語に関する知識の差異が見られることは往々にしてある。したがって,本発表では,第二言語リテラシーをより狭義に捉え,「教室活動において,学習者が自分の経験や知識を,第二言語を介して具体化し表現するために,利用可能なリソースを使用し,他者との関わりの中でそれらをコントロールできること」と定義する。換言すれば,第二言語リテラシーとは,参加している活動の中で第二言語話者として振舞える「実践力」と考える。
そして,以下に説明するストーリーテリングという活動における第二言語リテラシーをより具体的に定義すれば,「語り手」として,聞き手がストーリーを理解できるような形で言語表現ができ,また,聞き手が理解していないと判断すれば,修正できることなどが含まれる。「聞き手」としては,あいづちや指示対象の明確化要求,意味の交渉のための質問,理解の提示など,その場で適切とされる反応を示しながら,語り手のストーリーの構築に貢献できることとする(Clark & Schaefer, 1989)。
学習者に第二言語リテラシーを実践する機会を与えるのに,どのような教室活動が考えられるだろうか。本発表では,そうした教室活動の可能性の1つとして「ストーリーテリング」を挙げる。私たちは日常生活におけるあらゆる場面で,自分の経験や過去の出来事を語るという行為を常に行っている。ストーリーを語ったり聞いたりすることで,他者との関係において何らかの目的を達成しようとする。したがって,教室活動としてのストーリーテリングは,教室という制度的な場で行われる活動でありながら,他の学習者との交わりを通して,その場の現実を構築できるという側面を持つ。ここでは,こうしたストーリーテリング活動と第二言語リテラシーの関連について述べ,ストーリーテリング活動の様相について具体的に説明する。
先に定義した第二言語リテラシーをストーリーテリング活動と関連づけると,ストーリーテリングにおいて,学習者は第二言語に関する知識(knowledge)を含む利用可能な言語リソースを通して,自分の過去の経験(experience)を語るという言語活動を行える。また,ストーリーテリングは,自分の過去の経験に言葉を与え,他者との関わりを通して具体化していくという意味で,社会的な性質を持つ活動でもある(Ochs & Capps, 2001)。
さらに,ストーリーテリングにおいて,学習者は第二言語を用いて行動したり表現したりする第二言語話者としての行為を「経験する(experiencing)」ことにもなる。学習者のそうした行為の基盤になっているのは,第二言語に関する知識も含め,学習者がすでに獲得しているものであるが,ストーリーテリング活動における他者との関わりによって,新たに「知ること(knowing)」(Wells, 1999)もあるだろう。こうしたストーリーテリング活動における,学習者の過去の経験と知識,また,学習者が現在その場で経験していることと新たに知ることは,学習者の行為や言語使用に反映すると考えられる。そして,ストーリーテリング活動は,学習者が教室内外ですでに獲得した第二言語の言語使用を実践に移せる場でもあり,そうした言語使用が有効であるかどうかを試せる場ともなりえる。
先に述べたように,学習者間で教室外の環境における経験やすでに獲得した第二言語に関する知識に差異がある場合,ストーリーテリング活動においては,そうした差異を埋めるための相互行為が観察されると思われる。「語り手」と「聞き手」は「互いが理解している」という確信を得るまで,その場で必要な知識を共有する基盤作り(grounding)を続ける(Clark & Wilkes-Gibbs, 1986)。そしてそれと並行して,相互行為を通して互いが援助し合い,協働的に現実を構成する様態が作られる。
このような性質を持つストーリーテリングの活動の状況では,ヴィゴツキーの意味での「より能力のある他者」(Vygotsky, 1978)の役割が学習者間で流動的に変化し(Ohta, 2001),その結果,第二言語リテラシーの具体的な実践に関連する行為や言語使用が誘発される。したがって,ストーリーテリング活動は,ストーリーに対する他者の評価的な視点を通して,学習者の第二言語リテラシーをさらに進展させる場ともなりうる可能性があると考えられるのである。
上で述べた見方を基盤として,このような教室活動としてのストーリーテリング活動において第二言語リテラシーがどのように実践されているかを,実証研究を取り上げて検証する。本研究では,ストーリーテリングを「一方が話し,他方が聞く」といった個人主義的な観点で見るのではなく,ストーリーテリングにおける相互行為によって,そこで語られるストーリーは協働的に構築されるものであり,また,そうした相互行為がストーリーテリングそのもの自体を構成していると捉える。以下,具体的な研究の目的と方法について述べる。
本研究の第一の目的は,ストーリーテリング活動における日本語学習者の第二言語リテラシーの実践を観察し,記述し,分析することである。従来の第二言語習得や日本語教育におけるナラティブ研究では,ナラティブ(4)はあくまでも学習者の言語習得の一側面を明らかにするための分析対象であった(木田・小玉,2001,Yoshimi, 2001)。また,このような研究は,日本語母語話者のナラティブを理想的なモデルとし,母語話者のナラティブから学習者が学ぶ必要のあるナラティブ構造や言語形式を明らかにした上で,それらを指導することが目的とされてきた。本研究では,従来の先行研究が考慮してこなかった側面,つまり,ナラティブが対話者との相互行為によって達成される側面に注目し,習得の過程で「学習者は何ができて,何ができないのか」を示すのではなく,第二言語を用いて「学習者は何をしているのか」を観察し,そうした行為の分析を提示する。
本研究の第二の目的は,そうした日本語学習者の第二言語リテラシーの実践の記述を通して,教室における実践活動としてのストーリーテリングの様相を提示することである。本研究におけるストーリーテリング活動は,第二言語リテラシーの実践に関わる,第二言語で「語る」「聞く」という行為に対する学習者の意識化を図るという目的も持っている。日常生活における様々な場面で,自分の経験を語ったり他人の経験を聞いたりするという活動は,何らかの目的を達成するための重要な言語的・社会的活動であるにもかかわらず(Mandelbaum, 2003),日本語教育においては,学習者の会話能力の一部として口頭ナラティブ能力の重要性が指摘されているだけで(木田・小玉,2001),ストーリーテリングが教室活動として検討されることはほとんどなかった。したがって,「語り手」としての学習者に自分の知識を第二言語で具体化し表現する機会を与え,「聞き手」としての学習者に第二言語で活動に参加し貢献しているという気づきを与える,といったストーリーテリング活動の可能性を追求する。ストーリーテリング活動におけるこうした学習者の行為や言語使用を記述し,分析することによって,教室活動に関する教育的な示唆を提供することができるのではないかと考える。
本研究で扱うデータは,2004年9月から12月の1学期間にわたり,関西圏にある某大学1回生対象の日本語会話中級クラスにおいて,計6回のストーリーテリング活動を,テープ録音,ビデオ録画によって収集したものと,学習者に対するフォローアップ・インタビューをテープ録音したものである。分析の対象となる資料は,それらのデータを文字化したトランスクリプションであり,本発表では,その中から語り手と聞き手のやり取りが観察された箇所を提示し,質的に分析する。
本研究の調査協力者は8名(男性4名,女性4名)で,韓国人女性留学生1人を除いて,他は中国からの留学生である。ストーリーテリング活動では4人1組のグループを2つ作り,4人のうち2人は,語り手と聞き手の役割を担当した。語り手はストーリーのトピックが書かれてあるカードを1枚引き,そのトピックについて話をする。聞き手役は,単に語り手のストーリーを聞くだけでなく,他の参加者もストーリーが理解できるために,語り手から必要な情報を引き出す。他の2人は傍聴者として,特に積極的に会話に参加しなくてもよいが,この2人のうち1人には,語り手のストーリーを聞きながら,メモを取り,後でストーリーを作文にして提出する課題を与えた。グループごとに,話は自由に終了してよく,終了したら担当を変え,次の語り手は別のカードを引き,新しいストーリーテリングに移るよう指示した。なお,別の日に収集したストーリーテリング活動では,語り手が同じストーリーを異なる聞き手に語るというストーリーテリング活動も行った。
本発表では,「語り手」の行為よりも「聞き手」の行為に注目し,第二言語リテラシーの実践について考察する。その理由として,「聞き手」のストーリーテリング活動への貢献は,先に述べたように従来の第二言語習得や日本語教育におけるナラティブ研究において焦点化されてこなかったことから,「語り手」同様,第二言語リテラシーを実践している「聞き手」の行為を観察することが,本研究の目的である「第二言語リテラシーの実践」を観察・記述するための,また,「ストーリーテリング活動」の可能性を検討するための出発点と考えるからである。したがって,本発表では,ストーリーテリング活動の様相を念頭に,語り手と聞き手の相互行為によるストーリーの展開,特に「聞き手の貢献(Clark & Schaefer, 1989)」がもたらすストーリー展開の変化に焦点を定める。Clark & Schaefer (1989) が提示した5つの「聞き手の理解の証拠(注目の継続,話題に関連した事柄の導入,承認,デモンストレーション,提示)」に従って分析を進める。以下,データ分析の過程で明らかになった点を簡潔に述べておく。(5)
学習者は,その場で話題になっているトピックに関してそれぞれ異なる知識量を所有しているので,相手の発話を理解するためには,様々な方略を用いて必要な知識を共有しようとする。そのため,Clark & Schaeferの枠組みにそって言えば,ストーリーテリング活動における聞き手の行為は,語り手のストーリーに対する「注目の継続」や「承認」を表明することだけにとどまらない。つまり,あいづちを超えた言語行為が要求されることになる。それは,質問という形で「話題に関連した事柄の導入」をすることであり,また,語り手の発話の繰り返しや言い換えなどの「デモンストレーション」や「提示」という行為である。特に,「提示」という行為には,聞き手が語り手の発話の終了を待たずに,自ら語り手の発話を完成させるという場合も見られた。さらに「デモンストレーション」や「提示」は,語り手の質問を誘発することもあり,ストーリーが協働的に構築されていく。第二言語リテラシーの定義に従えば,語り手のストーリーの構築に貢献できるという聞き手としてのリテラシーの実践が,こうした聞き手の行為において観察できる。
最後に,以上のストーリーテリング活動において観察された結果から,日本語学習者のリテラシーの実践に関して重要だと思われる側面を考察し,第二言語リテラシーの研究に関する今後の課題を指摘する。
Clark & Schaeferが提示した5つの「聞き手の理解の証拠」の中でも,特に「デモンストレーション」「提示」という行為が起こるのはなぜだろうか。通常は,ストーリーの語り手は,聞き手がストーリーを理解するのに十分な情報を与えると考えられている。しかしながら,上のように具体的なデータを見てみると,必ずしも語り手が聞き手に一方的に情報を与えているわけではなく,聞き手によるデモンストレーションや提示という行為が起こっているのである。これは,ストーリーテリング活動という協働活動において,語り手と聞き手の間でパースペクティブの共有が起こっているという証拠にもなる(Cameron & Wang, 1998;嶋津,2004)。こうした観点を援用すると,ストーリーテリング活動において,聞き手は語り手のことばを解読してストーリーを理解するのではなく,語り手のことばを手掛りとしてストーリーを再構成していると見ることができる。語り手の中で構成されつつあるパースペクティブと聞き手において再構成されつつあるパースペクティブの照合が,ストーリーテリング活動となる。このように見ることで,デモンストレーションや提示という行為が適切な位置づけを得ることができる。ストーリーテリング活動に関するこのような実証的研究は,学習者のリテラシーの実践をこれまでとは異なった観点から理解するための資料を提供してくれるだろう。
本発表で取りあげた実証研究の目的の1つは,教室における実践活動としてのストーリーテリングの様相を提示することで,第二言語で「語る」「聞く」という行為に対する学習者の意識化を図ることであった。ここでは,学習者のインタビューデータを簡単に紹介し,「聞き手」として第二言語で活動に参加し貢献しているという学習者の気づきについて整理する。そして,今後の課題として,学習者が自分の行為を振り返ることで,第二言語リテラシーの実践がどのように変化していくかを検証する縦断的な研究の必要性を指摘する。
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